北海道の受験生から見た「京都大学」

お疲れ様です。

アストナージさんです。 

今回は北海道から京都大学に進学した人たちに行ったアンケート調査をもとに、すこし考えてみたいと思います。

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筆者の撮影した札幌駅

 

 

 

 

なぜこの記事を書いたのか

今回このような記事を書いた理由は2つあります。

 

一つは以前の授業で、地域ごとの格差には学力という問題以外にも進学もしくは進学先をどのように捉えるかという意思決定の温度差が関係してくるのではないかという疑問を持ったからです。北海道から大学への進学を考えるときに、どのように地域の影響を受けるのでしょうか。この記事ではその前提となる北海道民の「京大像」をインタビューを通して探っていきたいと思います。

 

二つは、"自由の学風"を享受していた数年前と比べて、管理強化された現在の大学で自治や自由を語ることが難しくなっているということがあります。これには大学側の弾圧や国側、京都市側からの圧力という大きな流れが存在します。これらが最も大きな要因と考えておおむね問題はないはずですが、やはり肌で感じて耳にするのは「学生の側でも自由や自治について考えたり行動したりする人やその意識は減っているのではないか」という問題です。無論こうした言説は人々のバイアスや経年によって「創り出され得る」ものであり十全の問題提起とはなりませんが、ここでは令和二年度入学生、そして北海道という遠隔地から京大を志望する層の「京大像」も見ていくことで、これからの京都大学を担う学生の意識のほんの一端も見ていきたいと思います。

 

そしてこれは本題とはズレますが、5名のインタビューは彼らがなぜわざわざ北海道から京都大学に進学するに至ったのか、とても興味深い読み物にもなっています。彼らの経験をここに記録しておく、ということもこの記事の目的である。

 

今回は北海道から京都大学に進学した1回生5名にインタビューを行った結果をまとめる。なお、編集や個人情報保護の観点からインタビュー内容や発言を意味を変えない範囲で一部編集している。

 

インタビュー形式について

「なぜ進学先に『京都大学』を選んだか」

 「高校・予備校での進路指導の際、『京都大学』はどのように捉えられていたか」

「親や周りの大人などは『京都大学』をどのように捉えているか」

「入る前と入った後での『京都大学』のイメージの変化」

「自由回答」

 

 

 

 

 

1人目

「なぜ進学先に『京都大学』を選んだか」 札幌(北海道)は好きではあるが、10年近く住んで飽き(?)が来てしまったので大学は道外に出て新しい世界に触れたいと思いがあった。学校の進路指導の東京方面の大学訪問のプログラムや海外研修に参加した影響もあり、いわゆる難関大学の東大や東工大など東京方面に進学希望していた時期もあったが、・学力的に東大等は厳しそう・建築をやりたいなと思っていたので北大や東大など進振りがあるのが嫌だった・京大の出題方式が自分に合っていて可能性を感じた・京都という街に対する憧れ・京大ですって名乗れるのを単純にかっこいいと思った・京大生のそれオモロいねやろうってなる感じを聞いていて憧れていた という理由から京大を目指したと思う。  「高校・予備校での進路指導の際、『京都大学』はどのように捉えられていたか」 高校(札幌北)は毎年京大に進学する人も存在するので目指すこと自体は自然に受け入れられたと思う。母校だけかもしれないが学校で行う講習などでは、北大コースと難関大(東大京大など)と北大とそれ以外で分けられていて、道外の(難関)大学で一括りに扱われていたので京大に関する情報などは自発的に集めていた感じであった。 予備校は河合塾の京大コースで浪人したが、京大コースってこともあり京大一筋で進路指導的なことをされた記憶があまりない。ただ、チューターが京大入試の当日京都まで来てくれた。 高校、予備校共に京大の学風や大学の教育プログラムの違いなどについては、積極的に言及はなくあくまでも合格するための勉強面でのサポートをしていただいた。 「親や周りの大人などは『京都大学』をどのように捉えているか」 自分の親は高学歴というわけではないし、教育に関しては口を挟んできたことはない放任主義で好きにしなさいという感じだったと思うので、京大受けるんだーという感じだった。 聞いたことがないので想像の範疇だが親も周りの大人も京大、頭いいよね、変人多そう、みたいな捉え方だと思う。東工大受けようかなと話した時はどこそれ?という感じだったが、流石に京大は知名度高い。 「入る前と入った後での『京都大学』のイメージの変化」 ユーモアのあるタテカンとかが好きだったし、入る前に吉田寮のヒッチレースとかの実況とか見てたりタテカン撤去の話だとか入試のオルガ像騒動であったりそういうものを目にしていたのでいわゆる自由でオモロいことをやる京大の学風(?)が昔よりも薄くなり、対話の機会が失われているのかなというのも感じて憂いていたので、入った後もあまり「京都大学」のイメージについては変わらないかなという感じ。ただ入学前から京大のそういう一面に興味関心があったのは周りの京大志望の人でもぼくくらいだったと思うので珍しいと思う。 「自由回答」 好きな寿司ネタは中トロです。

 

2人目

「なぜ進学先に『京都大学』を選んだか」 →恥ずかしながら、正直に言うと先生に進められたからです。最初は阪大に行こうとしていたのですが、入学してから専攻の融通がきくこと、学力、にぎやかな人が多いので私の人柄に会うという理由で3人の先生に勧められたので変えました。 京大を志望する高校同期に行動力があって尊敬できる人が多かったのも理由です。同じ環境にいたいと思いました。 「高校・予備校での進路指導の際、『京都大学』はどのように捉えられていたか」 →学力の高い大学、だと思います。自治とか東大京大の違いとかにはあまり触れられていなかったと思います。合格した人数を稼ぎたい大学という印象です。ただ、勧めてくれた3人目の先生は少し自由とか自治のようなことを配慮してくれたのかな、と。 「親や周りの大人などは『京都大学』をどのように捉えているか」 →すごい大学だと思っていて、親戚などはひたすら褒めてくれます。熊野寮祭に参加したのですがそういうカオスな部分は伝えていないので、知らないと思います。優等生が行く大学とでも思っているのでは? 「入る前と入った後での『京都大学』のイメージの変化」 →東大の劣化版とか2番目の大学とかのイメージが多少ありましたが、入ってからはっきり違いが分かり、(比較的)自由な京大を好きになりました。学力にとらわれずやりたいことを極めている人、大学を守ろうとしている人がいてかっこいいと思います。 「自由回答」 →まとめると、京大に入ってみないと分からなかったことが山ほどあると思います。ちなみに学校差あるかもしれないので言うと高校は札幌南です。 コロナもあって大学のことを入学後あまり知れていませんが、こんな感じでしょうか?見当違いな回答でしたらまた答えますね!

 

 

3人目

 1. 京大出身の家族に影響を受けて憧れを抱いていた/京大の”自由の学風”が自分にとても適していると感じた/ 学力的に目指すことができた/高校の教員に勧められた 2. 日本を代表する大学の一つであり、入学難易度も非常に高いという認識であった。 3. 父親が京大出身であったため京大での往年の自由な学生生活の様相をよく聞いていた。そのため自分や家族にとっては身近な大学の一つであり、現在の京大が抱える諸問題(京大の自由の喪失/自治寮/中核派など)についてもある程度理解を示していた。また実家のある北海道北見市では京大に進学するような子供は非常に稀であり、周囲の人たちの京大の入学難易度に対する認識は札幌や京都の人たちに比べると厳しいもの(京大なんて雲のような存在)であった。 4. 良くも悪くもイメージ通りであった。各所から往年の京大の姿が伺える一方で、CAP制やタテカン・イベント規制などから管理強化が進行し「自由」を失いつつある京大も肌で感じられた。管理強化は予想以上に進行しているように感じられた。 5. 地元だと京大行ったら天才扱いされてた

4人目

 

「なぜ進学先に『京都大学』を選んだか」

高2の時に、ホームページになんとなく惹かれてオープンキャンパスに参加したのがいちばんのきっかけです!当時進路については文系か理系かすら悩んでいたのですが、京都のまちにたくさん古い建物やお墓があるのが楽しすぎて、またオープンキャンパスで自分は人文系の学問に興味が大きいとわかったので、文転して京大を目指すことにしました!

「高校・予備校での進路指導の際、『京都大学』はどのように捉えられていたか」

札幌の公立高です。京都大学は学問や生活に面白さを求める生徒に「向いているよ」と勧めていた感じがあります。母校では近年関西人気が続いていて、受験者合格者ともに増えてきていたという話を聞いたこともあります。

「親や周りの大人などは『京都大学』をどのように捉えているか」

親曰く、変人を社会に野放しにしないための場所笑だそうです。

「入る前と入った後での『京都大学』のイメージの変化」

もっとがやがやしてると思ったら、コロナで大学にはあまり人がおらず肩透かしを食らった気分でした。が、面白い授業も先生も多く、そこは期待通りです。学生は想像以上に話しやすい人、人間的に素晴らしい人が多くて、世間の変とか過激とかいうイメージとはずれもあると思いました。

「自由回答」

京大の卒業式を仮想パーティーにしたのは母校の先輩だという噂を聞いたことがあるのですが、本当でしょうか?

 

5人目

 「なぜ進学先に『京都大学』を選んだか」
京都大学については全く何も知らなかったというのが、現状です。高校の時は、入試の相性がとっても良くて、問題を解くのが楽しかったです。でも、高校の時はそんぐらいの認識でした。頭が追い付かなければ、もっと偏差値の低い大学にするし、とりあえず京大にしておくかのノリの京大にしていました。だから、ぶっちゃけた話、京大以外は考えられないというわけではなかったんです。一般入試の方には割と余裕があったので(冠模試で A 判定を取るぐらいには)、特色入試を受けてみないという話になりました。そこで、初めて京大について初めて知りました。こんな教授がいる。あんな研究がある。どれも魅力的だった。でも、だからと言ってワクワク感はなかった。京大に行きたいと最初に思ったのは、特色入試の二次試験の前夜だった。その日は次の日の入試に備えて、京大に関する資料をたくさん読んでいた。その中の一つに、ある新聞記事があった。それは、薬学部に特色入試で入学した先輩の記事だった。その中の一節、「京大生は一見すると普通でもよく話してみれば、面白い人だ」というものがあった。その言葉が私の意識を変えたのだ。なぜかはよくわからない。でも、その記事を読んだ瞬間に途端に京大に行きたくなった。この瞬間に私は進学先を京大にしたのだろうと思う。
「高校・予備校での進路指導の際、『京都大学』はどのように捉えられていたか」
:高校では「京大=自由」で捉えられていたと思う。予備校では、本質を見抜く力が要請されている場という認識だったと思う。いかんせん変人を突っ込んでおけという扱いだったと思う。どちらにせよ、伝統的に知っていることと研究業績程度しか知らないし、そこから得られる、「世界最先端の研究」「難関校」「サルと哲学」というようにとらえられていたと思う。
「親や周りの大人などは『京都大学』をどのように捉えているか。」
:将来が約束されている Eden。エリート訓練場。
「入る前と入った後での『京大』のイメージの変化」
:まず、学生の質。処分のこと。一つだけ言えるのは、知れば知るほど良いイメージではなくなるということ。学問を真摯に追及する姿とはいったいどのようなものであるのかを考えさせられた。
「自由回答」
:何を書いたらよいのかよくわからないが、京大に来てよかったと思ったことはまだない。私の京大へのラブコールは合格した日を境に単調減少している。それは、出会いが、つながりが回復させてくれるのではないのかとも期待している。来年こそは、いろいろなつながりを作っていきたいと思う

 

結果・考察

こうした受験生の意思決定には高校での教師の話や進路指導が小さくない影響力を持つのではないかという印象を受けた。令和二年度入学の中での北海道受験生についてここで少し分析してみたい。京都大学に令和二年度に入学した学生は2711名、そのうち北海道出身者は42名である(一般入試のみ)。次はこれを出身高校別でみていきたい。

 

1位 札幌南校 13人

2位 札幌北 9人

3位 旭川東 5人

4位 札幌西高 3人

4位 立命館慶祥 3人

6位 札幌東 1人

6位 帯広柏葉 1人

6位 札幌啓成 1人

 

 

 

浪人の割合を考慮しても一部の高校や地域が京大合格者を過度に独占しているような状況は見られない(都市部と札幌南北の割合が高いのは留意する必要があるが)。合格者の偏りを見出し、合格者を独占する高校での指導にクローズアップすることで、北海道の受験生が京都大学に進学することを分析することが目的だったが、高校での進路指導の背景、社会に存在する京大に関する捉え方を考えたほうがより正確な受験校決定因子や言説を見られそうです。北海道という特殊な地域における受験言説の分析は非常い興味深いものだが、今回の調査と私の技量ではそこまで迫ることはできなかった。今後の課題としたいと思います。

 

また各京大生の京大像に関しては興味深い回答がいくつか見られました。全体として京大の自由な学風は受験生にとってはあまりメジャーではないのかもしれないですね。この点に関しては、質問数や質問のしかた、層の限定などを考慮して言い切りは避けたいと思います。しかしこうした京大のイメージが少なからず大学そのものにも影響を与えていく、という視点では今後も考えを深めたいです。

 

 

インタビューに協力していただいた京大生の皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

参考文献

京都大学「令和2年度 京都大学一般入試統計」

https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/admissions/undergrad/jisshijokyo

みんなの高校情報 北海道「進学実績ランキング」

北海道の高校の進学実績ランキング|みんなの高校情報

 

 

 

 

本をよみました

はじめに

 

 本を読んだ後に何も考えたりまとめたりしないのではすぐに忘れてしまうのでとりあえず文字にしてまとめようと思って書いています。結構いろいろなことを知らない人間なのでまちがったことやおかしなことを書いてしまうかもしれません。そういった場合はコメントなどでご指導いただけると幸いです。 

 

 

こんにちは。

今日は8月10日です。

(注 違います)

 

 

夏休みですので時間もありますからぼちぼち読んだ本について感想や考えたことを書いてみたいと思います。

 

佐藤卓己先生の「八月十五日の神話ちくま新書を読みました。

 感想としては、

「おもしろかった」「名文が多い」「頭がいい」「すごい」

ということでした。

読みながら思わず「まじですか」という声が出てくるくらいに視点や考察が鋭く、展開や論理に呑まれてしまいました。

 

しかし本を読んでこうした感想しかでない学生というのも情けない気がしたので、もう一度本を読んで「どういった点が面白かったのか」や「さらに気になった点」くらいは考えてみました。

 

 

と思ったら全然読めなかったのでこれは今後の課題としたいと思います。

(佐藤先生の著作を片っ端から買っているため)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二冊目です。

 本田由紀さんの「教育は何を評価してきたのか」岩波新書です。

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)

 

  

 これはタイトル通りに教育が何を評価してきたのかということを戦前から現代まで「能力」「態度」「資質」という3つのキーワードに沿ってそれ自体の捉えられ方の変遷も含めて追っていった本です。個人的には日本の教育界の歴史を辿っていくことができたので勉強になったというのがあります。教育界に働いてきた「垂直的序列化」「水平的画一化」といったシステムを考え、「水平的多様性」に可能性を考えるというのが大枠の流れでした。「水平的多様性」を核にした今後の教育界への提言は具体的で、ダブルディグリーとかも視野に含めるというのは個人的に新鮮だと思いました。

 

 まあ何といってもそれら一つ一つの分析も面白かったのですが、この本の目玉は後半部分の教育基本法改正の流れに伴って教育現場に働いてきた「水平的画一化」の分析となるでしょう。教育基本法改正とそれに伴う自民党内での教育の捉えられ方、これらの分析については良くまとまっていましたからとても勉強になりました。教育政策の領分に触れる本でしたから政治と学問がとても近い位置にある本ではありましたね。「あとがき」において筆者の本田さんは本書での教育の分析からの現実への警鐘・提言という内容について「欲張った」と書かれていらっしゃいました。「生きる力」関係の分析など、もう少し読みたいという部分もあったのは事実ですが、芯も通っていてとても興味深く読ませていただきました。

 

まあほかにもたくさん買って、たくさん積んで、すこしずつ読んでいるのでまた気が向いたらこうして公開するかもしれません。 

 

 

 

で、読んでいて知らない用語があったので論文を読んでみて簡単にまとめてみました。間違ってたら直すので教えてください。

 

STEAM教育

 別にPCでゲームをするわけではない(令和イチ面白いギャグ)※。 STEM教育(Science,Technology,Engineering and Mathematicaの四科目、またはそれらを統合した科目)にArts(芸術、それにLiberal Artsを加える場合もある)を加えたもの。統合の水準はいくつかある。

 

 アイスナーが提案した21世紀に求められる8つの能力と芸術の役割を対応させた表が、胸組虎胤さんの論文に出ていて非常に興味深かった。しかし本文でも述べられていることではあるが、芸術の捉え方があいまいなままで便利な変数として活用していくのではよくないよなと思った。デューイの言う"統合"について自分でも学びを深める必要があるだろう。

 

 

 

イエナプラン教育

ドイツのペーター・ペーターゼンによって唱えられた教育である。新教育運動のなかで

 

まとめようと思ったのですが、まあ。みなさんで調べてください。

イエナプラン教育は僕が中途半端にまとめて読者の皆さんに変な印象を与えるのもおかしいなと思いました。けして(これいつまで下書きに放り込んでおく気なんだ。さっさと公開しなきゃ。)と思ったわけではなく(まあ少しは思いました。)。しかしこの教育はドイツのそれと、現在オランダで盛んなイエナプランとは大きな違いもあり、まあ全体像をつかむうえでいろいろ大変だったりするのでここでは省かせていただきます。

 

 

 

society5.0

 

 ググってください。

 

 

 

 ※ギャグは筆者が考えました

【参考文献】

 胸組虎胤(2019)「STEM教育とSTEAM教育-歴史、定義、学問分野統合-」『鳴門教育大研究紀要 第34巻』58p-72p

 伊藤敏子(2009)「<研究動向紹介>新教育運動とナチズムの関係をめぐる研究の展開-ドイツにおけるペーターゼンとイエナプランへのまなざし-」『Forum on Modern Education No.18 2009』285p-288p

 船尾日出志(2016)「イエナのイエナプラン学校のコンセプトと実践」『教職キャリアセンター紀要 vol.1』85p-92p

井上健(2018)「開かれた教育改革モデルとしてのイエナプラン–オランダにおけるイエナプランの受容と展開–」『東京都市大学共通教育部紀要 抜刷 vol.11』39p-57p

 

 

 

おわりに

 書いてみて思ったのですが、こうした学問の次元を扱った本を読んでぼくが「おもしろかった」「すごかった」という低次の感想を吐くというのは恐ろしく馬鹿っぽいと感じますね。また、ぼくはあくまで一般読者として読んでますから「先生に向かって上からだな」とかはある程度勘弁していただきたいです。

 

 

蛇足

ぼくは文章を書くと、いろいろな方から「句読点の使い方が下手」というアドバイスをいただきます。今回の文章も自分で読み返して気を付けたつもりではありますが、おかしなところがあったかもしれません。使い方でおかしなところなどがあれば、コメントでご指導いただければありがたいです。また、句読点が足りないと感じた方たちのために最後にまとめてつけておきます。ご活用ください。

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(あ!お寿司だ!(´~`)モグモグ)